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主体的であることの基準をもつべき理由

12019 / Pixabay

求められる自分を演じ続けることは出来ない

社会で生活をするうえでわたしたちは様ざまな「環境」のなかで「自分」を演じています。
家庭、職場、友人、各種グループから求められる「自分」の役割は異なります。

それぞれの「環境」での役割は自分で選んだものでなくグループの都合によって決まっています。
異なる「環境」=グループでの役割を上手に演じ分けられると、要領が良い(いい意味で)と評価されます。

しかし、全ての「環境」で求められる自分をいつまでも演じ続けることはできません。
あくまでも他者の都合であって自分の都合でないことも多いからです。

 

キャラクターの変化に「環境」のメンバーの関心は薄い

「環境」は固定的なキャラターを自分に求め続けます。
本人の成長や考え方の変化には全くおかまいなくです。

周りの他人には説明しにくく、下手するとひとりで大きなストレスを抱えてしまうことになります。
わたしはサラリーマンとして組織に属していた時と、独立した現在とでこのことを実感しています。

具体的に取り組むべきことを明確にしたことで、時間の使い方もずいぶん違ってきました。
こうした変化はわたしの属している「環境」のメンバーは積極的に気づこうとはしません。

極端な言い方をすると、キャラクター変更を認めようとしないのです。

 

「自分の人生の責任」を他人は取ってくれない

わたしの場合は父親や姉との親子の「環境」や、働く場としての「環境」との関係性で調整を必要としました。
「いいひと」を演じようとする意識をどこかに持つことは、プラスに働かなかったというのが実感です。

決然とした意識と行動を示さないとキャラクターの変更を認めてくれなかったからです。
自分に向き合って人生の目標を明確にしていたので、感情をもつれさせずに調整を行えました。

構成メンバーである人たちは親であっても「自分の人生の責任」を取ってはくれません。
自分の明確にした譲れないことを侵そうとされたら「ノー」という主体性は持つべきです。

 

編集後記

孫ちゃんと過ごす時間は楽しくもあり、ストレスもあり。

言葉はしゃべれないけれど、見たり聞いたりする新しいことに好奇心いっぱいです。

久しぶりの孫と長男夫婦に会えたことは貴重な時間でした。

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